宇宙と野菜に愛と感謝を込めて

時芽輝農場の農薬と肥料を使わない田畑で育つ野菜達との楽し~い交流をありのままに伝えます。

農遊び情報

野菜販売について
松阪大石町「やまねこ亭」 松坂市松ヶ崎駅近く雑穀菜食レストラン「はなうた」 飯南町の天然酵母パン「木琴堂」にて販売中。

1月3日11時より
柳屋奉善にて
毎年恒例ふくしまいせしまチャリティー餅つきをします。
売上は全て福島の子どもたちの保養ステイと野菜支援に使います。
ぜひご参加ください。

1月8日(日)10時より
美杉むらのわ市
1月29日(日)11〜15時
はなうたマーケット
11時より昔ながらの灰汁によるコンニャク作りワークショップ
13時よりホツマツタエのヲシテ文字の謎に迫る
     アワ唄で元気になる        講師 富山喜子

2月25日(土)11〜16時
京都境町画廊にて
「たねの日」第3弾

2月26日(日)10〜15時
やまねこマーケット
コンニャク作りワークショップと絵本の読み聞かせ

2月27日(月)
<自分の呼吸だけでカラダと心と魂を覚醒させるワークショップ>
このワークでは、とある呼吸を長時間連続して行うことで普段使っていない肺を活性化させ、肉体的にも精神的にも覚醒作用を及ぼしていきます。
ご興味のある方は伊東までお問い合わせください。件名「呼吸法」としてお送りください。
omusubiya.yuiyawasu@gmail.com
2/27の呼吸法は満員御礼となりました。次回は6月以降の開催となります。
ご興味のある方は、伊東までお問い合わせください。
omusubiya.yuiyawasu@gmail.com

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朝焼けUFO  

IMGP5709.jpg
急に空の色が変わったので撮影した
そしたら空に巨大な火の玉が映っている。
撮影した空は南西にだから、太陽ではない。
月も沈んだあとのはずだ。
と言うか、今は満月じゃない。
その後何枚かとったがもう写らなかった。
はっきりとファインダーから光の玉が見れたのを覚えている。
雷がなって急に雨が降ったので早起きしたのだ。
何かのメッセージなのかもしれない。
この1、2年で世界は大きく変わる。
この世界の原理(真理)に気付いた人も、取り残された人も全部消えていくのかもしれない。

オラは自分の未熟さや社会的常識の囚われを実感することが最近起きた。
オラは基本自分勝手だし、無責任である。
農場を見学したい人、自然農に興味のある人にはすべて自分の気付いたことは教えている。
自給的な暮らしをしたい人、この集落に住みたい人にはできるだけ協力したいと思っている。
ひとりこの村に住んで自然農を学びたいという人がやってきた。
最初は穏やかで一緒に農作業をしたり、いろんな話を楽しんでいた。
しかし急に態度が急変した。
もともと持っていた精神的な波なのかもしれないが、どう対処したらいいのか分からない。
小さいころに傷ついたこころがトラウマになっているのかもしれない。
何が本当の常識なのかは分からない。
国が変われば常識が非常識になったりする。
最初にその人に会ったときから、少し違和感があった。
自己中心、依存、甘え。
でも、決めつけずに相手のいいところが自然農に触れているうちに伸びていけばいいかな?と思っていた。
むらのみんなも仲間として受け入れようとしていた。
出来る限りのことはしてあげたいと。
先日いくつかトラブルがあって、オラは非常に胸が詰まる思いで少し強く言ってしまった。
大したことがないと思ってしまえばいいのかもしれないが、
他の人の家で同じことが起きたら、責任が取れない。
すべての人と仲良くしたい。
でもこんな小さなむらで起きたこともうまく対処できないことに唖然とする。
なんだか非常に情けない。
同じ人間なのに分かり合えないなんて、
野蛮な地球人はもう1度滅びた方がいいのかもしれない。
現代人は心も体も病み過ぎている。
そろそろ限界が来ている。
まあ、オラは生きれる限り生きるし、
未熟さの中でも精一杯出来ることには務めたい。
一緒に住むにしても、別れるにしてもお互い気持ちいいものにしたい。
皆さん応援して下さい。
ありがとうございます。
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category: ひとり戯言

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不食考察  

12日間水分だけで過ごしました。
全然大丈夫でした。
「食べなくても生きていける」ってことを頭で知っていても
本当にやらないと結局は潜在意識での疑いは晴れません。
やった感想は、
実にラクチン。
料理もしなくていいので、お金も食材も燃料もいらない。
ただ時間だけが余る。
本をむちゃ読んだけど
それも飽きるので
何か手仕事を身につけたいと思った。
排泄はどうですか?という質問があった。
最初の3日ぐらいは残った分があったのか便は出ましたが
その後はありませんでした。
食べなければトイレに行く時間も空いてくるということです。
水分は普段よりこまめにとっていたので、小便は何度もありました。
睡眠は普通通りぐっすり寝ました。
でも、全体に寝ないといけないという感じもありませんでした。
食べている時よりよく寝れたかも?
オラは単に不食をすることに意味や価値を感じている訳ではありません。
自分の深い思い込みを覆すことで、
この世界をがらっと変えれると感じたからです。
食欲は観念の中でも根っことなる部分です。
「食べなかったら死んでしまう」は常識の常識と言うやつです。
それが実が単なる思い込みだと分かったらどうなるか?
面白そうでしょ。
だから、やってみただけです。
実を言うと、今は元通り1日1食に戻りました。
不食を体験、実感して
食を楽しめるようになった気がします。
よく嚼んで味わうことの素晴らしさ、
便を出す心地よさ、
一緒に食事をする楽しさ、
食事の準備や片付けも楽しくなりました。
不思議ですね〜。
そりゃ、もちろん
食べない喜び、この上ない全身を貫くすっきり感、何も要らない自由は格別です。
まあ、どっちでも良いんだと思います。
どっちも楽しめば良い。
ただ今後、人類が滅亡に向かうなら不食を知っていて損はないでしょう。
肉体として存在しているときは一瞬です。
その間に肉体があってこそ体験を出来ることは全部味わいたいものです。
人間って本当に面白い生きものです。
自分が作り出した世界で苦労しているのだから。
ラクチンに生きるのを嫌がっている。
いや、なぜかラクチンに生きてはいけないと思ってしまっている。
誰かに責められるのではないかと不安を感じたり、人に役に立ち続けなければいけないという使命感があったり、何もしないことに罪悪感を感じる自分に嫌悪感を感じたり・・・
あ〜ややこしい。
そわそわ、イライラしていても一個も気持ちよくなれないのに。
顕在意識と潜在意識の矛盾に気付かないといつまでもOROKAループに巻き込まれたままになってしまう。
と、言うオラも書き込まれているんだけどね。
結局、不食にして何が変わったのか?
何も変わっていません。
不食が当たり前にできることを知っただけ。
いつも「今」思いついたできることをコツコツやるしかないんです。
コツコツ観念はずしを楽しむ。
宇宙の理を根底から作り替える?とか
大それた面白いことも出来ますが、それもその時が来た時にすればいいだけです。
まあ、せっかくなので、皆さんも思いついたことはやってみて下さい。

category: ひとり戯言

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思い通りに  

オラは人を思い通りに動かしたいとも全く思わない。
みんなそれぞれが好きなことだけをやって生きてればいい。
それで暮らしていけるのかというお金の面での質問は愚問だと思う。
もし好きなことで暮らしていないなら、やり方が間違っているか、
本当に楽しんでいないのだと思う。
それか心のどこかで「好きなことだけでは暮らしていけない」と思い込んでいるかだ。
世間ではなんでもいから趣味を必死で頑張って見つけて、人生にやりがいを見いだそうとしている人がいる。
そんなのは疲れるだけで長続きしない。
好きなことは「楽しもう」と思って楽しむものじゃない。
ひたすらに無心なのだ。
オラは畑にいることは瞑想であり、宇宙と繋がる方法なのだ。
その時、自分は「いない」のだ。
そして、すべてである。
オラなんか、全く言うことことを聞かない、思い通りに動かない非常識な変人である。
人を思い通りに動かすにはどうしたらいいだろうか?
それは、その人にとことん好かれることである。
大好きな人にはなんでもやってあげたいと思うものだ。
オラも友達が困っていたらどこであろうがすっ飛んでゆく。
人はとてもシンプルなのだ。
オラは怒っている人が苦手だ、笑っている人は大好きだ。
皆さんもそうだろうと思う。
人の悪口を言っている人には近づきたくないし、
人を心底褒めている人の和には入りたいと思う。
でもね、好かれるために変に自分を犠牲(自分の本当に気持ちを隠す)をするのは間違っている。
ゴマをすったり、媚へつらったり、愛想笑いをしたり・・・。
シンプルに生きることを楽しんでいる人の傍にいるだけでとても楽になり、
ありのままの自分でいれる。
本当の自分に嘘をつかないことが、自分を受け入れ、そして他人も受け入れることが出来る。
もうそこには、比べる必要など何もないことが分かる。
それぞれが、それぞれのままでいいのだ。
魂の輝きはみんな同じで
違うのはその魂のかぶさって光を弱めている着物である。
ただ脱げばいい。
でも、誤った情報の刷り込みや、恐怖心を与えられて、真実から遠ざけられている。
まさかまさか真実が恐ろしい訳がない。
平和で、自由で、無限なのだ。
脱げば脱ぐほど、どんどん心が軽くなって、
「楽しいや嬉しい」という言葉を遥かに越えることだろう。
それは初めっからすべての人に与えられている宇宙の法である。
ありがとうございます。

category: ひとり戯言

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自然農で楽生  

先日、伊勢リサイクルプラザにてお話をさせてもらう機会がありました。

このようにお話を出来る場を頂戴できるのは本当にありがたいことです。
ブログには「爆弾発言があるかも?」と書いていましたが
たぶんオラが勝手にほざいていることは全部非常識な真理?だと思います。
最初に言ったのは「自然農にはやり方はない」ということです。
皆さんはどうやって自然農をするのかを知りたかったのかもしれません。
しかし、オラは10年以上自然のなかで遊んできてそんな固定した方法論が存在しないことを見せつけられてきました。
自然を観ることしかできなかったのです。
そして、自然と共にあることで
「何もしないことが1番我々人間が楽に生きていける」ということに気付いたのです。
何もしなくていいことに気付くまで、我々人類は自然を破壊し続けているのかもしれません。
すべては初めから与えられているのです。
自然農はその自然は変化の流れのなかにすっぽりと身も心もゆだねることです。
もちろん全く何もしない訳ではありません。
しかし本来の自然の変化のなかに身を置くと、自分という個人的感覚が消えてゆきます。
そうなると畑に立つだけで自然と体が動き、野菜への気配り目配りが出来るようになるのです。
それは無我の境地とも悟りともいうことかもしれません。
自然農では草も虫も敵にしません。
むしろ逆に宝と言ってもいいかもしれません。
なぜなら、それらすべての生きもの達の連携によって大地は豊かになり野菜が育つのですから。
敵がいないので、それを「無敵」というのです。
肥料を与えなければ、野菜は病気にならず虫も呼び寄せません。
そして肥料切れも連作障害も起きません。
自然と農薬も必要なくなります。
というより元々いらなかったんですけどね。
現代人は常に「何かが足りない」と思い勝ちです。
そして与えすぎ、病気を引き起こしているのです。
現代社会の働き方を見てもどう考えても異常です。
極度にストレスを溜めながら生きるのに必要以上に働いてお金を稼ぎ、
無駄に得た(浮いた)お金を無駄な(本来必要のない)消費に回っている。
そしてそれは無駄な大量のゴミを生み出している。
常に働いていないと罪悪感に襲われる人がどれほど多いことだろうか?
経済成長ばかりいまだに求め続けている政府。
もうこれ以上成長する必要なんで感じません。
生活の質を高めてシフトダウンすれば、エネルギーもお金もきちんと回りだすと思います。
今回は「無駄に働いている分と、無駄に消費している分をカットして豊かなその日暮らしをしましょう」と提案しました。
無駄に働かない分、お金を稼ぐだけのために働いていた時間を減らすことが出来て余裕ができます。
その分を自給自足の畑の作業や趣味、ボランティアに回すことが出来ます。
そうすればどんどん心が豊かになり、ひととの繋がり、自然とのふれあいが出来るようになるでしょう。
苦しい中で生きるのも、ラクチンで楽しい中で生きるのも自分の選択次第です。
オラなんて自分でもどうやって生きているのか分かりません。
でも、出会ったすべてのひとのお陰で何とかなっている。
オラの生きるテーマは
「道楽」→「極道」→「極楽」です。
道を大いに楽しみ、そしてそれが極まってゆく。
最後には何もしなくていいのですから食って昼寝をして遊んで暮らす。
まさしく、極楽です。
道元が言った通り「死んで極楽へ行くのでは意味がない。今の生きているこの世を極楽にしないといけない。そのためには静寂の中に身を置きただ座るのみである」。
瞑想したり、座禅を組んで生きていけるのはそれを支える人がいるからだ。
キリストやブッタとて同じだ。
それは特異なひとで自分には無理だ。と思われるかもしれない。
しかし、オラは違うと思う。
我々誰一人としてキリストやブッタと違いはないのだ。
完全に宇宙(天)に身をゆだねることが出来たら、すべては与えられるようになっているのだ。
信じる信じないなどの低い次元の話ではない。
なぜだか分からないが、ただ、そうなっている。というだけのことだ。
それが宇宙の法(ダルマ)なのだ。
自然農の話からだいぶずれたように感じるかもしれませんが、自然農は哲学的な面を含んでいるのは宇宙原理の中で身を置く農だからである。
福岡正信さんにしろ、川口由一さんにしろ、岡田茂吉さんにしろ常に百姓であり、哲学者であった。
宗教的な面も感じられ敬遠するひともあるが、生きるということは己を知ろうとすることで、自然(宇宙)を知ろうとする根源的な問いの連続である。
オラは、宇宙人として生きている。
そうすると、地球人は本当にヘンテコな愚かな生きものである。
もっと生きるのを楽しんだらいいと思う。
勝手な観念や、一般常識という非常識に囚われないで自由にあるがままに生きたらいい。
周りの人が喜ぶこと、地球が美しさを取り戻すこと、何より自分をむっちゃ好きになれることを遠慮せずどんどんやればいい。
失敗しても、生きていれば何度でも試すことが出来る。
会社人になって安定収入を得るより、自然農で自給して仲間と愉快に暮らすことの方がより生活は安定する。
マスコミ社会の洗脳や恐怖の押し付けにも何の効果も無くなるだろう。
是非皆さん「こちら側」へお越し下さい。
いつでも扉は開いています。
ありがとうございます。

category: ひとり戯言

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いつのまにか長寿  


わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったことわかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと
(2014/01/21)
サリー・ボンジャース

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オラは今まであらゆる食事法や健康法の本を読み実践して来た。
それは不食不老不死になりたかったからだ。
周りの友達にも800歳まで生きると言っていた。
若々しくいつまでも元気で生きていたいというのは誰もが切に望んでいることだろう。
オラなりの結論に達した。
もちろんこれは、あくまでも「オラなり」で適当に受け流す方が一般現代科学のため、現代経済社会の為である。
「100歳以上生きる人は100歳以上生きることになっていた」
ただそれだけ。
最初っから長生きする人は長生きするのだ。
健康法や食事法には意味があり、全く意味がない。
どの人の情報や理論は正しくもあり、間違っている。
なんだか矛盾していて、何をどうしたらいいのか分からなくなりそうだが
「この体操をしていれば健康なんだ」
「玄米菜食をしていれば元気でいれる」
「一日一食や不食を実行すれば無敵になれる」
「ヨガや瞑想すれば悟れる」
「愛ある行動や困っている人に奉仕をすれば、天国や浄土に行ける」
どれも本当で、全部単なる思い込みです。
「お金持ちになったら幸せになれる」とか「有名になったみんなに好かれてちやほやされる」と同じレベルなのです。
結構何か自分とは別のものになろうと必死なだけです。
つまり今の自分を好きではないので変えたい。
自分には足りないものが在る。と思っているということです。
オラもずっとスピリチュアルな探求を繰り返してきました。
さまざまな本を読んで神秘体験や超常現象を求め、無欲で奉仕をして愛に生きたい、悟りたいとすごく肩に力が入っていたように思います。
でも、すべては「ただなるようになっているだけ」
本当な何も起きていないし、
自分は何も行為をしていない。
まあ、結局はどうしようもないってことです。
生きれるだけ生きたらいいのです。
別に長生きすることがいいことだってことも無いし、
そりゃ〜元気な方がいいけど
怪我や病気も起きたら受け入れるしかない。
いろんな欲や感情も次から次へと起こってくるけど、ただそれだけのこと。
別にそれに対していちいち反応、反抗することもない。
人に言われたり、本を読むと「そうかな〜」って思ってしまう。
その思い込みが現実化しているの過ぎないのです。
農薬野菜、添加物、酒、タバコ、放射能、電磁波・・・。
誰もがこれらがからに悪いものだと思っていますよね。
ファーストフードやカップ麺を食べて
「むっちゃ健康になったぜ」って思わないでしょ。
だから、体を悪くしているのです。
何を食べても「これおいしいな〜、元気が出てくるな〜、体の調子が良くなったぞ、ありがとう」って
思えば健康になるでしょう。
人の発する言葉や思いは実現化しますので、注意して言葉を選んで使うとそれだけで今の世界がまるで違う世界になるでしょう。
オラはストイックなので
今まで知識や習慣をなかなか捨て去れないかもしれませんが、それでもいいと思っています。
いろんな変なことにしがみついている自分に気付いて笑い飛ばしいてやるんです。
健康長寿にしても、精神的な探求にしろもう終わりです。
どの観念ももう意味を持たなくなりました。
ありのままの自分の感覚だけで生きればいいんです。
誰かに認められたり、天国に入るために無理をして愛の溢れるいい人にならなくてもいいんです。
あ〜ラクチンです。
これは「解放」や「悟り」とは違う気がします。
ただ、スッキリとした感じです。
人間は自分と他人という分離感から不安や恐怖が生まれます。
それは分離感がある比較しだして、足りないものを探し出すからです。
残念ながら求めている間は得ることが出来ないのです。
だから、「今のままでいいじゃ〜ん」って思えばいい。
そうすりゃいつも満たされているので、幸せマンマンです。
今までいろんなことを通信やブログに書いてきましたが
全部オラの戯言です。
もちろん、この記事も。
うまくはまとめられませんが、
何も求めず、期待せずに、アホで愚かな自分のままで充分です。
ありがとうございます。

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いつの間にか100歳になっていただけ。
長生きしたければ、生まれる前にそう決めてくればいい。

category: ひとり戯言

tb: --   cm: 4


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